森林文化アカデミーの新入生たちと、岐阜県のものづくり1300年の歴史を旅してきました。

クリエーター科(林業再生・山村づくり・環境教育・木造建築・ものづくり)の学生を対象に、全教員がリレー形式で教える「森林から木材・暮らしへ」という授業があります。私は例年、「ものづくりタイムトラベル」と題して、岐阜県では昔からどのように森林と人が関わり、どんなものづくりをしてきたのか、見学へ出ることにしています。

この日はあえて講義はしません。まだ入学したばかりなので、頭に知識を詰め込むより、まずは心と体で感じてほしいと思っているからです。そして、いま自分は歴史の流れの中でどこに立っていて、これまでどんな積み重ねがあり、これからどこへ向かうべきなのかを考えるきっかけを提供したいと考えています。


まず、バスは100年前の岐阜県へ。車内では、この「岐阜県林産物一班」を参考にしながらクイズ。この本、今からちょうど100年前に、当時の市町村別にどんな森林資源でどんなものづくりが行われてきたのかを詳しくまとめたものなのです。
たとえば関市では、「木管」とよばれる木のパイプをシラカシで年間21万本も作っていたことが出てきます。当時、岐阜・大垣一帯では紡績・織物の大工場建設が相次いでいたのです。

到着したのは郡上市の明宝歴史民俗資料館。ここには村民が集めた47000点もの民具が収められています(一部は国の重要有形民俗文化財!)。まさに100年前の岐阜の暮らしがうかがえる資料です。

解説していただくのは、村の歴史を何でも知っている末武東さん。下の写真では、この地域にたくさん生えているエゴノキから、岐阜の特産品、和傘の部品を作って出荷していたことを説明しています。ここでも、林業・林産業が下流の製造業と密接に結びついていたことがうかがえます。

見学中に、森林文化アカデミー卒業生の諸橋有斗さんが駆けつけてくれました。彼は、この郡上市でかつて盛んで、その後途絶えてしまった下駄づくりを復活させるための研究を行い、卒業とともに事業を立ち上げました。この資料館にも、昔の下駄を調べるために訪れたといいます。過去を知ることが、新しいビジネスのヒントにもなる好例です。



そしてバスは飛騨へ。さらに歴史を遡ります。
ミュージアム飛騨で、飛騨木工連合会の野尻修二さん、高田秀樹さんに解説していただきました。飛騨といえば木工技術で知られますが、なんと1300年前から都の造営に貢献してきたのです。

こちらは現在の皇居に収められている「新宮殿の椅子」の試作品。木工芸の人間国宝・黒田辰秋と飛騨産業が制作にあたったものです。昔も今も、飛騨の木工技術は都に貢献しています。

飛騨といえば曲げ木が有名です。1920年にヨーロッパから技術が伝えられ、曲げ木の椅子づくりで洋家具の産地として栄えていきました。今では椅子やテーブルの出荷額では日本一を誇ります。


1300年を一気に現代まで駆け抜けて、最後は未来へ。
高山の大手家具メーカー・飛騨産業を訪ね、北山庸夫さんに解説していただきました。この会社では岐阜大学を退官された棚橋光彦教授を招き、研究所を設立して、これから先の最先端技術の研究を行っています。

スギ丸太をそのまま圧縮して角材にする技術。もう刃物や製材所はいらなくなるかも?

木をゴムのように柔らかくする技術。


高山ではこうした最先端の研究を行いながら、これからも木工技術のトップランナーであり続けようとしています。飛騨の匠の歴史は、現在進行形で続いています。

盛りだくさんのタイムトラベルでした。新入生たちの心と体に、この旅で感じたことがひとつでも染み込んで、これから2年間の学びを始める上での刺激になればと願っています。
森林文化アカデミー・ものづくり講座教員の久津輪です。
3/30〜31の2日間、長良川鵜飼船の調査が行われました。神奈川大学、日本常民文化研究所、瀬戸内海歴史民俗資料館、岐阜市歴史博物館、岐阜市うかいミュージアム、岐阜市役所、関市役所、森林文化アカデミー、それぞれから和船研究者、鵜飼研究者、行政関係者が集まって行われたものです。

まずは岐阜市歴史博物館の倉庫を見学。この鵜飼船を含む長良川鵜飼用具一式(122点)は、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

鵜飼船の全長は13メートルにも及びます。
私はまだ和船の勉強を始めたばかりで詳しいことは分かりませんが、和船研究の先生が、この船は日本の川船の原型を残す非常に貴重なものであること、これだけの大きさのものが一定の需要のもとに作られ続けているところは日本でもここだけであること、などを話しておられたのが印象的でした。


係留されている観覧船と造船所も見学。観覧船の造船所は岐阜市営です。木造和船の造船所を自治体が抱えるのは全国でここだけだそうです。


森林文化アカデミーのある美濃市には、82歳の現役船大工、那須清一さんがおられます。
遊び心あふれる看板。手前は平面図、裏は側面図になっているのが分かりますか?

那須さんはお元気でした。全長9メートルほどの漁船を製造中です。ただ、漁船の需要はここ数年でめっきり減ってしまったとのこと。那須さんの住む集落でもかつてはほとんどの家がアユ漁をしていたそうですが、多くがやめてしまったのだそうです。


最後に、郡上市の船大工、田尻浩さんを訪問。若い頃、那須清一さんのもとで8年間修行した方です。今は鵜飼の鵜匠が乗る船はすべて、田尻さんが作ります。現在も岐阜市の鵜匠の船を製造中でした。

和船づくりも、木の選び方、組み方、道具の使い方など、細かく聞いていくと実に興味深いことばかりでした。たとえば、板を縦に継いでいく時、普通は下の写真のように継ぐのですが、


側板のへりだけ下の写真のように継いであります(追掛け継ぎ)。ここは乗り手が膝を当てたりして特に力がかかることから、前後左右にずれないように特にこうして継ぐことになっているのだそうです。
今回の調査に同行して、この地域の木造和船の技術が貴重な財産であることを改めて感じました。技術が残るためには、使う文化を育てなければなりません。漁船の需要がなくなる中、新しい発想での取り組みが求められていると思います。森林文化アカデミーとしても何ができるか、これから考えていきます。
この調査を企画してくださったのは、森林文化アカデミーでも非常勤講師をお務めいただいている石野律子先生(手前左)。石野さんのおかげで立場の異なる多様な人がつながりました。人のつながりができると、困難な状況でも前に進めるような気がしてきます。つなぐ人は重要ですね。石野さんに感謝です。


明るい話題のオマケをひとつ。田尻さんが「いま作っている船が終わったら仕事がなくなる」とこぼしていたその時、なんと岐阜市から鵜匠さんが訪ねてこられて、私たちの目の前で鵜飼船を1艘注文して行かれました。これにはビックリ。
田尻さんにはこれからも船を作り続け、できれば後進も育てていただきたいです。


船大工、運行業者、研究者、愛好家など、和船に関わるさまざまな立場の人たちが有益な情報を交換しあい、技術や文化の継承に役立てることを目的としてメーリングリストを運営しています。関心ある方は以下のフォームからご登録ください。
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